親の期待と子供の人生
期待されるというのは嬉しさと同時に重圧を感じるものである。と言っても、僕自身は決して大きく期待されて育てられたという訳ではないが、一人息子だったので親はそれなりに教育熱心だった様に思う。父親は比較的無関心で教育面では僕が何かやらかさない限りはあまり口を出してこなかったが、その一方で母親は過保護と言って差し支えないレベルで僕を育ててきた。
僕にとってはそれが非常に苦痛で自由を奪われている様にさえ感じ、逃げ出したいと思った回数も少なくはない。別に母親の事が嫌いではないが、異常なまでに心配をされると「あぁ、一人の人間として認められてないんだな。」と感じてしまう。勿論、僕自身しっかりしていないし心配されてもしょうがないのは自覚しているが限度がある。いくつになっても子供は心配だとか可愛いという言葉の裏には子供をいつまでも自分の監視下に置いておきたいという親のエゴを感じざるを得ない。
ところで、今の僕は言うまでもなく確実に親の期待を裏切った存在になっている。親はこの現状に怒ったりしてこないが、内心さぞかし落ち込んでいるだろう。同級生と比べて明らかな落ちこぼれなのだから。
死にたい
握り潰した缶ビールの空き缶、一切見る気のない垂れ流しっぱなしの深夜のTV番組、灰皿から溢れんばかりのタバコ、薬のゴミ。何の意味があるのだろう。ギャンブルも酒も女も薬も一時の快楽で何も満たしてくれやしない。ひたすら襲ってくるのは自分の存在の無意味さと無力さである。
ボーッとしていると必ずと言っていいほど、上司の「やる気ある?」「努力してないじゃん」という言葉が反芻する。その度に気が狂いそうになる。どれだけ努力しても報わず、否定のみが襲ってくる。ただでさえ低い自己評価は下がる一方だ。何者にもなれなかった僕は何かになる為に死を選ぶしかない。まともに生きられる訳ないんだから、そうするしかない。
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転職が始まった。言いまどむもなく。一体毎日毎日おなず「あかひをを繰り返しスボl.、果たしてこの脱去ょきをクリオ返せられられるぎびはくろのだおうか。。
オーバードーズについて その2
その1で書いた様に僕のオーバードーズ生活はブロンで幕を開けた訳だが、次第にコデインを求めてブロンを飲むのも飽きてしまい、他にも興味が湧いてくる。
次に興味を持ったのはコンタックWであった。コンタックWに含有されている成分はデキストロメトルファンであり、端的に言えばこれを大量に摂取するとサイケデリック染みた幻覚体験が味わえる。現実からの逃避を求めていた僕にとっては幻覚なんてのは願ってもないものだった。一度オーバードーズをして目を閉じれば形容し難い光景が眼前に広がり、聞いている音楽は全身を包み込む。多幸感に満ち溢れ、まさしく幸せそのものである。
これに関する思い出せるやらかしと言えばコンタックWを48カプセル、デキストロメトルファン換算で1440mg摂取して不思議のアリス症候群を発症してしまい、丸一日記憶がブッ飛んで嘔吐を繰り返して寝たきりになったぐらいかな。本当に死ぬかと思った、面白かったけど。
オーバードーズについて その1
僕がオーバードーズをするようになったのは大学生の頃である。当時の僕は哲学書を読み漁っており、サルトルをはじめとしたドラッグに溺れていた哲学者の影響を受けてしまった。
元々、現実逃避の為に哲学に走っていた事もあり、シラフでいるのがしんどいという理由でアルコールに溺れていた自分にとってはドラッグは非常に興味を惹かれるものであった。そして、僕は2ちゃんねるやドラッグについて書かれている文献を漁って知識を得ていき、調べている内に自分でもやってみたいという気持ちになっていった。
最初に試したのはメンヘラ御用達の薬で有名なブロンである。ブロンに含有されているジヒドロコデインとエフェドリンはアルコールやタバコでは味わったことのない新鮮な体験を僕に与えてくれて非常に感動した。最初は勝手が分からず大量に嘔吐してしまったが、吐いている時の自分も没入感を加速させ、そんな自分さえ愛しく思えた。このデビューをきっかけに僕のドラッグへの関心は更に加速し、色んなものに手を出していく。