愛の共産主義化

最近、芸能人の不倫報道が目立つ。日本では3組に1組が離婚し、近い将来これは2組に1組になるとされているが、1人の人間に対し1人のパートナーという独占的な相互所有の近代的イデオロギーが限界に来ている様に感じる。

ヒッピーやニューエイジのコミューンに於いてはこの様な恋愛の形は批判対象であり、僕自身非常に共感するところがある。不倫や浮気が問題とされる要因としてパートナーを1人の人間として尊重するのではなく、所有物として捉えている事が大きいだろう。「こいつは俺の女」といったマッチョイズムは恋愛に於いてしばしば見られるが、この様な恋愛の形はパートナーを束縛し、自由意志を剥奪する。嫉妬や怒りの感情が生じるのは自分の意に沿わない行動を起こされた場合であり、肥大化した自己愛がこれらの感情を生じさせるのである。しかし、本来人間は誰しもが自由意志を持つ存在である。そして、言うまでもなく人間存在を所有する事や縛る事は出来ないし、するべきではない。

理想が高すぎて恋人が出来ないといった話はしばしば耳にするが、現代日本での一般的価値観では1人の人間にそれらの理想を全てぶつけるしかない。しかし、「セックスが上手い」「イケメン」「所得が多い」といった理想を1人ではなく複数人のパートナーを持つ事で満たす恋愛の形が認められても良いはずだ。パートナー全員がこれらの関係を認め合うポリアモリーの様な愛の共産主義化は様々な軋轢からの解放があるように感じるのだがどうだろうか。